今日は登封の郊外にある少林寺を観光します。
僕は70年代の第一次カンフーブーム世代ではないですが、小学生のころ休日の昼間にはよくテレビでカンフー映画が流れていたのを覚えています。そのせいもあってか、子どもの頃は格闘技といえば空手か少林寺拳法かみたいな感じでした。
というわけで少林寺拳法の聖地に行ってみたいと思っていたのですが、どうも少林寺拳法の創始者(宗道臣)は生まれも育ちも日本で、中国で修業したことはあるものの本家の少林寺と直接の関係はないらしい。
一方、本家の少林寺では今年の7月に中心人物である住職(釈永信)が横領疑惑で中国当局の捜査を受けています。カンフーブームに乗って規模を拡大した一方で、かねてから商業主義すぎるとの批判はあったよう。
まあ中国の大物はだいたいなんか悪いことやっていて、捕まるかどうかは共産党の内部事情次第って感はあります。ここのところ共産党内でも大物の失脚が目立ちますし、党内の権力闘争の一環なのでしょう。リアルタイムではようやく中国を抜けたのでやっと本音が書ける。
とにかく、本家の少林寺がどんな感じなのか見に行きたいと思います。
少林寺景区
少林寺景区は少林寺を中心に、塔林・初祖庵・達磨洞・武術館などが含まれる文化・自然複合の観光エリアです。 禅宗の祖庭であり、さらに少林武術発祥の地としても知られ、2010年には「登封〈天地之中〉歴史建築群」の一部として世界文化遺産に登録されました。
景区内には、約30,000平方メートル以上の常住院(本坊)を中心に、唐・宋・元・明・清の時代に築かれた246基に及ぶ石塔が立ち並ぶ塔林、禅宗初祖とされる達磨が坐した達磨洞などが点在します。 また、景区は五岳のひとつ嵩山の自然環境の中に位置し、文化資産だけでなく地形・山岳景観としても見どころがあります
少林寺は登封市郊外の山中にあります。
少林寺への路線バスは昨日のバスターミナルから発着していますが、ホテル近くは通りません。仕方ないので市街のホテルから景区入口までタクシーで約20分、40元(約800円)。
少林寺のある山系は五岳の一つ嵩山。嵩山とは特定の山/峰を指すわけではなく、この山系一体のことを指しています。この旅で五岳を訪れるのは泰山、恒山、崋山に続いて4つ目です。こうなると南の衡山も行ってみたくなります。
山間の道を登っていくと、道沿いにいくつも武術学校が立ち並んでいるのが目につきます。学校によって、武術中心のカリキュラムから普通科+心身の修業くらいのところまで様々あるらしい。

景区のチケットは事前にTrip.comで予約して約1,640円。園内には観光車が走っており、往復で25元(約500円)です。

観光車のコースを示す地図は見当たらなかったので適当に乗りこんで、行きたいところの近くで停まったら観光することにします。
少林寺
少林寺は北魏の太和十九年(495年)にインド僧・跋陀のために建立された禅宗寺院です。中国禅宗発祥の地として知られ、達磨大師がこの寺で九年間面壁修行を行い、禅宗の教えを広めたと伝えられています。
建築群は中軸線上に南から天王殿、大雄宝殿、蔵経閣が並び、現存する主要な建物は明・清代に再建されたものです。寺の周囲には歴代の高僧を祀る塔林や、修行の場と伝わる達磨洞などがあり、宗教的・歴史的価値が高い地域を形成しています。2010年には「登封〈天地之中〉歴史建築群」の一部としてユネスコ世界文化遺産に登録されています。
ここがメインの少林寺です。少林寺は大きく「禅宗始まりの地」と「少林寺の僧兵」二つで有名です。

禅宗の開祖である達磨大師は中国国内でもちょっと別格で、一宗派の初祖にとどまらず仏教全体の顔という扱いのよう。他の寺とかでも仏像や弟子・羅漢に交じって像が安置されていたりします。

達磨大師の出自ははっきりしないそうですが、5-6世紀ごろに南インドあたりから来たと言われています。梁の武帝と会うものの話が合わず、少林寺で修業して禅宗を開きます。

その後、唐の建国者である李世民を助けるために少林寺の僧兵が戦ったという記録があり、明~清代には少林拳や棍法を使う武僧が全国に広がっていたらしい。最初になぜ僧兵が戦ったのかについては、戦乱から寺を守るためとか唐に仏教を保護してもらうためとか諸説あるようです。

塔林
少林寺の塔林は、河南省登封市の嵩山少林寺西側に広がる墓塔群で、中国最大規模の僧塔群として知られています。
唐代から清代にかけて造立された約240基の石塔が立ち並び、歴代の高僧や方丈の遺骨を納めた墓塔として機能してきました。塔の高さは平均7〜15メートルほどで、形態は方形・円形・多角形など多様です。初期の唐塔は簡素で装飾が少なく、時代が下るにつれて華麗な浮彫や銘文が加えられ、各時代の建築様式の変遷をよく示しています。塔林の名称は「塔が林のように並ぶ」ことに由来し、現在は少林寺景区の重要な一部として整備されています。


三皇寨景区
三皇寨景区は嵩山山系の西麓に位置し、景区の面積は約35平方キロメートルに及びます。 この地域は「峰奇・路険・石怪・景秀」と評され、北方の山岳風景として稀有な自然変化・地質構造を備えています。
山体は急斜面で、山頂部は比較的平らという特徴があり、登拝の道中には「好漢坡」と呼ばれる急な石段などがあり、訪問にある程度の体力が求められます。 景区内には「書册崖」といった、地質年代の異なる岩石が露出する地帯もあり、“天然地質博物館”とも称されています。 文化的には、「天皇・地皇・人皇」とされる人祖を祀る場所としての伝承もあり、宗教的・民俗的な要素も併存しています。
少林寺の奥からロープウェイ(索道)で行けます。ロープウェイは二系統あり、一つはこの三皇寨景区へ、もうひとつは二祖庵につながっています。

二祖庵は禅宗の第二祖 慧可を祀った庵です。慧可は達磨大師に弟子入りする際、覚悟を示すために自分の腕を切り落とした(断臂求法)という激ヤバエピソードがあります(後世の創作という説が有力)。
今回は三皇寨に行ってみます。
三皇寨に続く少林索道のロープウェイチケットは別売りで、Trip.comで予約して約2,050円。

山頂に着いたのは10時ごろ。
あまり下調べしておらずちょっとした散策コース程度かと思っていたら、ここから三皇寨景区の中を通って街まで下山できるよう。この後はもう一度 少林寺に戻りたいのでコース全体を歩くのはあきらめ、簡単に行けそうなスポットまでを往復することにします。
道は緩やかな下りが続きます。標高は千数百メートルほどでそれほど登っていないものの、少林寺と比べてもだいぶ涼しく感じます。
少し歩くと崖側に造られた山道に出ました。足場はしっかりしてるので高度感はないですが、景色は相当すごい。

天気があまりよくなく、遠くが見渡せないのが残念です。

この辺一帯には数億年前からの地層が残っていて、何度かの大きな地殻変動を経て今の地形になったよう。この崖も元々は水平だった地層が造山運動で押し曲げられて褶曲や断層になったようです。

卓剣峰という峰の麓あたりで折り返して、ロープウェイ駅まで登り返します。

歩き始めてから一時間ほどでロープウェイ駅まで戻ってきました。ロープウェイで降り、観光車で最後の目的地 少林寺武術館演舞庁へ向かいます。
少林寺武術館演舞庁
少林寺景区内には演舞庁というステージがあり、ここで定期的に少林寺の武術ショーをやっています。

入場料は無料。すでに入り口前には入場待ちの行列ができています。
行列に並びたくないなーとあたりを見渡すと、入り口の脇に有料の優先入場口がありました。38元(約760円)。これで並ばなくて済むなら全然いい。
会場に入るとすでに座席の6-7割くらいは埋まっています。僕が座れたのは演舞台の斜め前二列目。演舞台正面の席に座るならもっと早く来て優先入場しないとダメそうです。

中が暑かったら地獄だなと思っていましたが、さすがに冷房が効いてます。
開演間近になって一般入場の人も入ってきました。もうほとんど座席ないのにどうするのかなと思っていたら、演舞台と座席の間に座り込んだり通路で立ち見したりと様々。
……優先入場して通路際の席に座ってた人、立ち見の人で視界ふさがれてかわいそうです。
僕の目の前には、優先入場してた家族の子供に席を詰めさせて座ろうとする一般入場者もいてドン引きでした。民度ヤバすぎるだろ。これなら普通に指定席と立見席でチケット分けて有料にして欲しい。
ナレーションが始まり、さっそく武術ショーかと思いきや最初はお年を召した人が習字を始めました。何かよくわかりませんが観客はめちゃくちゃ盛り上がってます。こういう盛り上がり方はいいなと思います、民度は低いけど。


その後は、修行者?っぽい若者が入れ替わりながらショーを行います。
僕は武術≒格闘技みたいな認識だったので型や組手みたいなものをイメージしていましたが、完全にエンタメです。





なんというか……少林寺に対して武のイメージは完全になくなりました。
この辺定かではないんですが、70年ごろの文化大革命で少林寺もターゲットになっていて、一時は少林寺から僧侶がいなくなったこともあるらしい。伝承されていた武術もその辺で途絶えたと言われています。

路線バスで登封市街へ
一通り観光を終えて出口に戻ってきました。目の前にちょうど登封市街行きの路線バス(8路)が止まっていたので乗りこみます(5元、約100円)。

10分ほど待ってバスが発車……したかと思ったら、何もない道路で止まったりUターンして戻ってきたりと謎の行動をとり始めました。謎行動のあとは元の位置でまたしばらく待機します。
さらに30分ほど待ってようやく発車。これでもう街まで行けるかと思ったら、そう遠くないガソリンスタンドの前で停まりました。何かと思っていると運転手に一元硬貨を渡され、そこに停まっている別のバス(1路)に乗り換えろと言われます。同乗していた中国人おじさんともども困惑です。
……これならタクシーで帰ればよかった。結局1時間以上かけて市街へ戻りました。

郊外バスで鄭州へ
ホテルで荷物を回収した後、タクシーでバスターミナルへ向かいます。

登封から鄭州へのバスは頻発しています。鄭州中心部だけでなく、高鉄駅である鄭州東駅行きのバスも本数は少ないもののあります。
鄭州では高鉄駅付近に滞在するため、高鉄駅行きのチケットを購入(30元、約600円)。次のバスは15時。乗客は僕を含めて5人だけでした。

バスはすぐ高速にのり、二時間ほどで鄭州東駅の目の前のバスターミナル(郑州高铁长途汽车枢纽站)に到着しました。
鄭州では黄河周辺を観光します。
