秦と合従軍の激戦地 函谷関を観光(2025/8/1)

中国

ニイハオ!今日は函谷関を観光します。

秦の函谷関(かんこくかん)は、中国河南省三門峡市霄関鎮に位置する古代の関所で、戦国時代から秦代にかけて重要な軍事拠点として機能しました。もともとは韓が西方防衛のために築いたもので、後に秦がこの地域を支配すると、東西交通の要衝として大幅に整備されました。

函谷関は崤山と函谷山の狭間にあり、地形が険しく、一夫当関、万夫莫開と称されるほどの天然の要塞でした。関門を通る道は洛陽と関中を結び、秦が天下統一を進める上での戦略的通路となりました。

史記にも登場し、老子がここで関令に『道徳経』を授けたという伝承でも知られています。現在は遺跡として保存され、城門、関楼、城壁の一部が復元されており、中国古代の交通・軍事史を語る上で欠かせない史跡となっています。

紀元前3世紀、戦国時代の中国では、七つの国が覇を競っていました。その中でも最も強勢だったのが西方の大国・秦です。秦は中原への進出を進め、天下統一を目前にしていましたが、その勢いを恐れた他の六国――韓・趙・魏・楚・燕・斉――は手を組み、「合従軍(がっしょうぐん)」を結成します。

秦と合従軍はこの函谷関で激突し、激しい戦いの末に秦が勝利します。函谷関の戦いは、単なる一地方の戦いではなく、戦国の勢力図を決定づけた歴史的な転機といわれています。

函谷関への行き方

歴史上、函谷関(函谷关)と呼ばれたところはいくつかあるそうですが、秦時代の史跡は函谷関歴史文化旅游区として整備されています。

高速鉄道なら西安からでも日帰りできます。行き方は以下のような感じです。

  • 三門峡南駅から
    • 霊宝行きのバス「三門峡南-霊宝線」で函谷関景区停留所へ(1時間に1本程度、70分強)
  • 霊宝西駅から
    • 路線バス「函谷関号」で函谷大酒点停留所へ(30分に一本程度、40分ほど)
    • 路線バス「霊宝-三門峡線」に乗り換え函谷関景区停留所へ(1時間に1本程度、20分ほど)。

高速鉄道駅からだとタクシーでも50元(1,000円)程度で行けそうです。

僕は今いる華山に近い霊宝西駅から行ってみることにしました。

霊宝へ

霊宝西への高速鉄道に乗るため、まずは崋山近くの高速鉄道駅である崋山北駅へ向かいます。

7時半ごろにホテルを出発。駅まではタクシーで15分ほど、16元(約320円)。

駅前から華山周辺がよく見えます。

崋山北から霊宝西までは高速鉄道で一駅15分ほど。予約したのは8:22発のG1844、二等車で約1,000円。

この列車を予約した時はちょうどパオトウ(包頭)あたりにいて、列車の運休で無駄な予約・キャンセル手数料を取られ続けていたため二等にして節約です。

確保できた座席は三列シートの真ん中でしたが、両隣が空いていたので快適に移動できました。

霊宝西駅は霊宝市街の北西の外れ、郊外というレベルじゃなく離れた場所にあります。

駅に到着した時間にちょうど市街への路線バスがあったため、とりあえずバスに乗ることに。

駅の出口から右手の階段を降りるとバス停があり、市街行のバス函谷関号が停まっています。名前が紛らわしいですが、上に書いた通りこのバスは函谷関の方へは行きません。

市街までの運賃は5元(約100円)。Alipayで霊宝市のバスカードが見当たらなかったので現金で払いました。

バスの時刻表だと8:50発のはずなんですが、しばらく待って9時過ぎに発車。

道は悪くガタガタと体が跳ねるくらい揺れます。30分ほどバスに乗り、途中の函谷大酒店停留所で降ります。

停留所はちょうど霊宝市街の北西端に入ったくらいのところで、函谷関からはまだ13kmほど離れています。

ここで函谷関近くを通るバスに乗り換えられるのですが、次のバスがかなり待ちそうなのでここからはタクシーで行くことにします。DiDiで呼んだタクシーがいきなり縁石にぶつかり不安です。

市街から函谷関までは20分ほどで、運賃は37元(約740円)。

景区の入り口でチケットを購入します。入場料75元、観光車20元で合計95元(約1,900円)。

函谷関の建物は入口からかなり離れたところにあるので、この時期に歩きだと暑さがきついと思います。中国ではこんな感じで観光車に乗らせる作りにしている観光地が多いな。

あまり人気はないのか観光客はそれほどいません。観光車は僕含め二人乗った時点で発車してくれました。

観光車に数分乗り、巨大な老子像の前で降ろしてもらいます。ここから老子廟を通って函谷関の建物のほうに抜けていくのが主な観光コースのよう。

老子像はかなり大きいですが残念ながら補修中。

老子廟の建物を抜けていきます。敷地はかなり広く、老子ゆかりの何やらが展示されています。

廟を抜けていくと函谷関の城壁の上に出ます。

当然ですが当時のものではなく再建で、位置も遺跡保護のため数十メートルずらしているらしい。

遺構としては数百メートル四方のものが見つかっているらしいのですが、再建されている城壁は思ったより小さい。

漫画キングダムでは急峻な山の間に数百メートルにわたって城壁が作られているイメージなので、この建物部分だけみるとちょっと拍子抜けです。

往時の城壁全体はどんな感じだったのかなと想像しながら周囲をしばらく散策しました。

函谷関の戦いの規模はよくわかっていないのですが、数万〜数十万人と言われています。軍の移動も大変ですが、その人数を集める外交交渉の方が時間かかりそう。

当時の馬は今のサラブレッドのような感じではなく、スピードよりパワーな古代馬。戦国期はすでに幹線道路と官の駅伝制の萌芽があったとはいえ、国同士を往復するのに数週間以上は必要だったはず。派兵交渉が数回のやり取りでまとまるとも思えないんですが、当時の出兵はけっこうカジュアルな感じだったのでしょうか。

城楼の上にも登れます

城壁の近くから観光車で入り口まで戻ります。

帰りはタクシーで直接 霊宝西駅まで行くことに。

景区の前に客待ちのタクシーがいなかったためDiDiでリクエストを出しましたが、一向に配車されません。

市街からそれほど遠くはないものの、あまりこの辺に来る車はいないよう。10分ほど待ち、バスで帰るしかないかと思い始めたころにようやく配車されました。

タクシーは高速道路を通って30分ほどで霊宝西駅に着きました。

高速料金は運賃に含めて請求かと思ったら、料金所で僕が自分で払う感じでした(Alipayで払える)。合計53元(約1,060円)。

タクシー車内で帰りの鉄道を予約しようとしましたが、時間が合う電車が全然ありません。往路と比べても少し本数が少ないようで、昼の時間がぽっかり空いています。

仕方ないので次発の13:59の便を予約。今は12時なので駅で二時間ほど待つことにします。

霊宝自体はそこそこ大きい街ですが、霊宝西駅の周囲に時間を潰せるようなところは何もありません。

大都会 霊宝の駅前の様子

駅構内には小さいですが商店があり、お菓子つまみつつしばらく待ちます。

中国の鉄道では自由にホームに入ることはできず、だいたい発車の15分前〜3分前くらい(駅による)までの間に改札をしてホームへ行く必要があります。

ちょっと作業に集中して、ふと顔を上げると僕が乗る電車の改札がちょうど締め切られたところでした。これはやらかしたか。

ダメ元で改札の係員に聞くと、どこかに電話をした後で改札を開けてくれました(たぶん電車の到着時間をみていて、改札口からホームへの移動が間に合いそうなら入れてもらえる)。

駅に二時間前に着いたのに電車を乗り過ごすとか意味不明なので間に合ってよかった。

崋山北駅にもどり、駅近くの食堂で食事。肉来膜という肉を生地で挟んだもの(10元)と涼皮という陝西省発祥の麺(8元)。

肉来膜はたぶんハンバーガー的な位置付けで露天や安食堂でよく見かけます。パリッとした皮の中に肉が入っていて、どこで食べてもあまりハズレがない。

涼皮は日本でいうと冷やし中華的な位置付けだと思います。辛い店もありますがここのはフラットな感じで、食感はもちっとしてちょっと葛餅っぽい(甘くはない)。

駅からはタクシーでホテルまで戻ります。

昨日から泊まっているホテルは「跡墨九間房ホテル」で一泊約3,000円。ホテルというよりは家族経営の民宿みたいな雰囲気です。

ホテルの食堂で夕食のビャンビャン麺を食べていると、共用スペースでホテルのご主人の講釈が始まりました。

言葉がわからないので想像ですが、崋山がいかに名山かということを語っているよう。途中で入ってきたお客さん、チェックインできず放置されてますけどいいのかな。

明日は華山を観光します。